diary 2003.03b



■2003.03.15 土

 だらだらと寝過ごすつもりだったのに、朝の陽射しの強さ、そして布団の中の暑さで8時頃に目が醒めてしまった。部屋の中がむわっとしていた。ストーブのタイマーはセットしておらず、火力は最小のまま、寝ている間もずっと焚き続けていた。普段部屋にいない時間なので判らないが、もう日中はストーブも必要ないくらい、陽射しは暖かくなってきているのかも知れない。
 居間のカーテンを開く。陽射しを透かしたカーテンが温とい。光がわっと射し込んで床を白く照らす。床に写ったストーブの影の上に、ゆらゆらと陽炎が立ち昇る。
 外を眺める。ここからベランダ越しに見える景色。奥行き50メートルほど何もない空間が拡がってる。夏は芝生となり、冬はただ雪に埋もれるだけの空間だ。そこには適度な高さに幹を断たれたポプラの木が20本くらい、それより大きな白樺の木が何本か疎らに生えている。街並みはその空間の向こうから始まり、3階のこの高さから見渡せる限りずっとずっと向こうまで拡がっている。
 この奥行き50メートルほどの拓けた空間。それがあるのとないのとでは、ここに住んだ時の印象が随分違ってしまうだろう。市の中心部からさほど離れていない街中でありながら、この窓から眺める景色は時々、前に住んでいた田舎町の部屋の、窓の外の景色と重なる。どちらも、眼下にはただ雪に覆われただけのも何も無い空間があって、眼前には木が生えている。この空間、自分にとっては丁度良い「緩衝地帯」だ。
 木の根元の周りの雪が窪み始めていた。積もっている雪全体を見渡すと、これまで羽根布団のようにふわっと地面を覆っていた雪が、今は何だかぺったりと、煎餅布団になってしまったよう。陽射しの割に外はまだまだ寒そうだ。でも日を追うごとに着実に、雪がデリケートな存在に変わってきている。


■2003.03.16 日

 何年も前に住んだことがあるとはいえ、当時つるんでいた学生や浪人生、自分もその中のひとりだったが、特にこれといった肩書きも無いアルバイト仲間などは、もうこの街には残っていない。いや、残っているのかも知れない。また、一度離れても今の自分のように再びこの街に舞い戻って、ここで生活している者もいるのかも知れない。ただ、今はもう繋がりが無いというだけで。
 かつて住んだ街でも、当時身近にいた人々との繋がりを無くしてしまうと、街そのものも変わって見えてしまうものだ。そう感じる事がたまにある。街並みそのものも、まぁ変わったといえば大きく変わっているのだけど、それとは何か違う変化を、街は遂げてしまっているような気がする。それは何なのだろう。
 送別会の帰り道、繁華街のすこし外れを歩いていた。表通りからかなり離れたこの辺りに建ち並ぶビルを見ると、そのどれもが、かつて自分が入った事のある建物のように見えてしまう。でも、当時はワゴン車で、ドアからドアへの纏まっての移動ばかりだったから、地理的にこの繁華街のどの辺りの建物に自分が入っていたのか、そんな事はちっとも憶えていない。何日もかけて内装をやったビルもあり、火災を出して経営者が夜逃げしたテナントの焼け跡を片付けたビルもあった。開店準備に携わった店もあり、そのまま開店後の人手として働いた店もあった。
 でも、それら全て。記憶の中のそれと似たような場所を見つけても、その場所だという確信が無い。建物についての記憶は時折面影が頭を掠めるだけで、それ以上引き擦り出せないものばかり。ただ、その時一緒に働いたり、関わった人達の顔、仕草、声。そういうものだけはしっかりと憶えている。
 建物ならまだこの辺りのどこかにあって、それは捜せば見つかるものかも知れない。でも、建物に関するその記憶は遠い。なのに、今では幾ら捜しても決して見つかりそうにない、当時繋がりのあった人々。その記憶は自分の中に深く刻まれている。記憶は何故、再び巡り会えないものばかりを、深く深く刻み込んでしまうのだろう。
 この辺りを歩いていると駄目だ。何だか感傷的になる。周りに誰もいなければ、涙を零してしまいそうなほどに。ここで涙を零したら、何て言い訳しよう。涙の理由はちょっとややこしい物語になる。だってもう10年前の1年間に渡ることだもの。とても全ては語り尽くせない。きっと場所が哀しいんだと、言うのはそれだけにしよう。ああそうだ。場所が哀しいから、涙が出そうになるんだ。
 今と関わりの無い思い出ばかり、この街には残っているような気がする。思い出の欠片も持たない新しい街。この次はそんな所に住んでみたい。


■2003.03.18 火

 JR通勤をしている職場のある人が、最近毎朝の通勤車両の中でへんなおじさんに出会うという。女子高校生の隣に座って寝ているふりをして肩に頭をもたれされたり、組んだ足を相手の足に重ねてみたり、何か話し掛けていたり、と。さすがに目に余るのでここ何日か眼を効かせていたら、今朝は同じ車両には現れなかったらしい。本人曰く 「乗る車両ずらされたんだわ、きっと」。
 春だからねぇ…とそれを聞いていた誰かが言う。暖かくなるとそういう人が増える、というのは意外と正しい話なのかも知れない。それを聞いて、ふと「春の風物詩」という言葉が頭を過ぎった。風情の欠片も無いが。
 歩道を覆っていた氷も緩んで、ザクザクになっているような状態。歩いているとまるで砂の上を歩いているようだった。雪道のあちこちには深い陥没ができて、その所々が大きな水溜りになっている。今日は朝からそれをピョンピョンと飛び越えながらの通勤だった。スーツ姿で「えいやっ」と。迂回すれば避けられるのにそうしてしまうのが、まぁ自分らしいといえば自分らしい。

 帰り道に昇り始めの月を見た。太陽と入れ替わりに昇ってくる。今日は満月だろう。少し日記を遡ると、1ヶ月前に満月の事を書いていた。次の満月の頃にはもうすっかり春らしくなっているだろう、と。すっかりとは言えない。けれど、それは確実に近付いている。次の満月の頃にはもっと…。
 いや、次の満月の頃には、世界はどのように動いているのだろう。予測がつかない今は、ちょっとピリピリしている。始まる前を良く見ておく事だ。始まってしまうと多分、今起きていることにしか目がいかなくなる。そうして終った後は勝った者が、始まる前の経緯…その歴史すら、書き換えてしまうかも知れない。
 歴史上、これまでにもそういう事は何度も行われてきただろう。後から誰かによって語られる事が真実とは限らない。今自分の目で見ている、その事こそが真実なのだ。
 

■2003.03.20 木

 米軍による対イラク攻撃が午前中に始まったので、職場もそれからすっかり浮き足立ってしまった感じだった。仕事時間中だったものの、一応音を小さくしてテレビ視聴可、ということになる。ただ、音声の殆ど聞き取れないテレビは同じ映像が繰り返し流されるばかり。その規模も当初予想されていたほど大規模なものではなかったようなので、何か動きがあった時だけ皆がテレビを注視し、そうしてまた自分の仕事に戻る、そんな落ち着きのない繰り返しだった。
 中東からの生中継の映像を見ていて、ふと思う。遠いところから幾多の中継点を経て伝達されているものだから、当然その映像には時々乱れが入る。でも、その映像の乱れ方が何となくデジタル的だ。ザッと横縞が入ったり砂嵐が入ったりするような乱れ方ではなく、映像の一部が何と言うか「モザイク状」になるような乱れ方をする。湾岸戦争当時から進歩したのは米軍の兵器ばかりでは無い。メディアの伝達手段もまた、進歩している。その事がこれからこの戦場で起きる出来事を世界に伝える、というその事に、どんな影響をもたらすのだろう。
 ただ、手段は進歩してもそれを伝える人間の方はそれほどでもなく。NHKに出てくる軍事評論家は湾岸戦争の時に出ていた人と同じ人で、特徴的なあの髪形も当時と変わっていない。彼の専門的な発言に対して、その分野には全く素人のアナウンサーがとんちんかんな受け答えばかりしているのも同じだった。

 これからイラクのメディアからは誤爆された建物と死傷者の映像、自国民の士気を鼓舞するための映像、そして英米軍を批判する人々の映像が流され続け、英米のメディアからは好調な戦果を伝える映像や、燃え盛る油井などイラク軍の非道を伝える映像などが繰り返し流されることになる。ただ、今回は主戦場が沿岸部からは離れているので、原油まみれの海鳥の映像は登場しない。
 そして、これからは進駐した英米軍を解放軍として迎える市民の姿や英米軍に好意的な発言、白旗を掲げて投降するイラク軍兵士の姿を伝える映像が流されるのかも知れない。ひょっとしたら、実はやはり隠し持っていた化学兵器の証拠映像、そんな映像も登場するかも知れない。
 ただ、画面の中で戦争を観る際に常に念頭に置いておきたい事。それは、提供される映像は提供者の意思が絡んだものだ、ということ。映像というものはその画面の枠内の事実を伝えると同時に、その枠外の事実を隠す事もできるものなのだ、ということ。

 あとは、テレビゲーム感覚の戦争、という言葉に惑わされないこと。他者や、ある世代に対する批判としてこの言い回しが多用されることが、自分はあまり好きでは無い。今回もまたそれを言いたくて言いたくて、うずうずしているような人が大勢いるだろう。だが、それを言ってしまう人たちの方がひょっとしたら自分を見詰めなおす、その必要があるかも知れない。
 そういう人たちはそういった言葉に「敏感」なだけで、等しくテレビで伝えられる映像を見ている他の多くの人々に対する「共感」に欠けているように思う。そうしてひとつの言葉上の表現に過ぎない言い回しに事実の方を擦り合わせてゆき、待ちかねたようにその言葉で批判をしてしまう。事実は無数にあるのに、その言葉に該当する事実にしか眼が向かなくなってしまうのだ。ああいう表現は、言葉がものの見方を捻じ曲げてしまいそうで、それが怖い。
 まぁ、今はもう、射爆装置の照準やミサイルの弾頭に付けられているカメラが捉えた画像よりも、テレビゲームの画像の方が数段進歩している。似ても似つかない。


■2003.03.21 金

 この戦争を画面で観る人たちの中で、はっきりと差が出るふたつの違いがあると思う。それに敏感なだけの人と、それに共感して物事を考えることができる人。その違いだ。共感と敏感は1字違いでも、その意味は大きく異なる。これからその数を増してくるのは、メディアに触発された敏感な発言だ。
 常に最新の情報を自分の中に吸収し、いち早くその事について発言する。その早さを競うだけならそれは敏感なだけだと思うのだが、この社会ではそうした人の方が発言力が大きいのかも知れない。ものごとと他者に対する共感力を持ち、それを自分のものにしてから慎重に発言する人は、発言の早さの点で彼らに劣ってしまう。
 早く情報を手に入れる事と、実のある情報を手に入れる事とは全くの別物だ。だが、何となく「早い」事ばかりが優先され、求められているような気がする。これに限らないが。

 今週をもって九州へ転勤する職場の人の、引越しの手伝いへ行く。引越し業者の手で綺麗に梱包された生活道具。それをアパートの3階から狭い階段を通って運び降ろし、トラックに積む。荷物は午前中に先に出発し、人だけが残る。人は荷物を追いかけて午後から出発するという。…思い出の積み残しは無いだろうね?
 からんとした室内で昼飯を頂き、手伝いのお礼にビール券を頂いて慌しく退散。違う街に住む学生時代からの友人から、携帯電話にメールが入っていた。「仕事クビだよ。そっちで何か仕事ない?」それだけのメール。こっちで斡旋できる仕事は無い。北海道からは人が減らされる一方だ。この職場の経営上の都合により、人はこれからどんどん南方へシフトされる。今回手伝った引越しだって、来年は自分の身の上となるのかも知れないのだ。
 その彼は25日まで仕事に出て、後はフリーになるという。まぁ、詳細は判らないし、この先何も考えていない訳では無いと思うのだが。とにかく25日以降久しぶりに会いましょう、ということにして、車を走らせて手伝い先から帰宅する。
 部屋に戻ると電話の留守電ランプが点滅していた。メッセージを再生すると 「あら、いないわぁ」という実家の母親の声。実家に電話を入れる。母親が出て 「今日から3連休でしょ。こっちこないかい?」 まぁ、こういう時期なので遠出はなかなか…と言っているうち、「ちょっと待って…」と電話の相手が代わる。…沈黙。おーい、どうしたー。もしもーし。沈黙した電話にそう呼びかけていると、ややしばらくして電話向こうから 「もしもーし…エヘヘヘ」と姪っ子の声。姉貴が実家に来ているらしい。
 「…こないのー?」 「ごめんねー、いけないのー」 「エヘヘヘ、おいでよぉ」 と、そんなやり取りを交わす。そのうち 「エヘヘヘ…キャー!」と何か叫んでバタバタと姪っ子が逃げていって、電話はまた母親にとって代わられる。「照れちゃって、逃げていったわ」と。キャーと逃げて、そのまま座布団の下に頭を突っ込んでいるらしい。
 ま、そういう事で残念ですけど帰れませんわ。そう言って話を終ろうとする。母親が電話向こうで姪っ子に言う。「もういいのー? 電話切っちゃうよー」 そう言うと姪っ子が遠くで 「ダメェ!」。…じゃあ電話代わるかい? 母親がそう言うと遠くから再び 「キャー!」というくぐもった絶叫。 「…また座布団の下入っちゃったわ」と母親が言う。
 …つまり、正月以来すっかり気に入られてしまった、という事らしい。


■2003.03.23 日

 今春でこの街を出てゆく人もいれば、今春からこの街で暮らすことになる人も多い訳で。出掛けついでにホームセンターに寄ると、台所、生活雑貨のコーナーや、カーテン、じゅうたん、収納器具などのコーナーには、いかにも今春から始まる子供の一人暮らし用の品を買い求めにきた、という感じの親子連れの姿が目立った。そういえばこの年代の親子の組み合わせは、他の時期にはなかなか見かけないものかも知れない。
 相手が息子にしろ娘にしろ、家庭内で生活と最も密接した地位にある母親は、とにかく品定めに熱心で、傍から見ていてもその事が判る。父親も時には熱心だ。ただし、得意なジャンルは母親よりかなり狭いのかも知れない。
 で、子供は、というと。息子は大抵、両親の後ろに突っ立ってただ見ているだけだったり、店員とやり取りする両親の熱心さにすっかり気圧されていたりするだけ。娘はそれよりもっと積極的で、母親と台所用品選びに夢中になっていたりするけれど、やり取りの中で時には強い口調になって、その母親と意見を対立させていたりする。それが見ていて可笑しい。
 そう。決して仲良くお買い物している親子ばかりではなかった。子供がそっぽを向いていたり、ふてくされていたり、自身のことなのに無関心な素振りをみせていたり。ちょこっと口論してみたり、と。
 巣立ち間際の子供は大抵、親に頼らず生きてみたいと思っているものだ。この時期を迎えた子供は、意識のどこかでは親を突き放そうとしているだろう。でも、春からの新生活。その準備段階で両親に頼らざるを得ない部分は大きい。両親はその事を自負しているし、子供もその事を認めざるを得ない。でも、おねだりするような真似はしたくない。色々と気持ち複雑な時期なのだ。子供にとっても、また、親にとっても。

 でも、親子揃って新生活の準備だなんて、一生の内に何度あることだろう。見ていて何かいいなぁ、と思う。あっという間に過ぎ去ってしまう、そんな瞬間。そこには決して立ち戻ることはできないし、そこに立ち留まることもできない。
 その瞬間は人生の節々に打たれる句読点の、まさに点の上、のようなものなのだと思う。それはかけがえのないものなのだ、と。まぁ今だから言えることでもあるが、そう思えるようになった時には、いつも手遅れ。
 
 あたたかい1日だった。今日の気温は10度を超えただろうか。


■2003.03.24 月

 自分の上で空白になっている上司のポジションに4月からひとり配置される、という話だったが、様々な事情によりその話が立ち消えとなる。ほぼ確実視されていたので、歓迎会の予定も立てていたし、こちらの今の仕事を幾つか持ってもらうつもりで引継ぎの資料と業務マニュアル作りも進めていた。でも、全ておじゃんになる。結局は4月以降もこれまでどおり、変わらぬ編成のまま新年度を迎えることになった。
 ただ今回の一件で進めていた業務のマニュアル作り。それは自分にとってもためになったと思う。立ち上がりから自分ひとりでやっていた仕事だ。今の段階ではまだ、そのマニュアルは自分の頭の中にしかない。自分は判っているから自分が今のまま仕事を続ける分には何の問題も無い。けれど、いよいよ自分が交替する時。自分が何らかの理由で長期不在になったような時。誰か替わりの人がポンと来て、すぐに仕事を引き継げるか、と考えると、それは難しいことなのだ。
 自分はついつい、そのうち誰かもうひとり配置されて、一緒に仕事をしながらその人に仕事を引き継いでゆけばいいと思っていた。でも、そうしたゆっくりとした引き継ぎ方はもう無理そうだ。次に自分の仕事を引き継ぐ人物は、自分と完全に入れ替わりの形で配置される事になる。その時にはやはり、今は自分の頭の中にしかないものを形にして、残しておかないとならない。
 その必要性を感じたのが、ためになった事のひとつ。
 もうひとつ。頭の中にしかないものを形にしてゆく。これまで頭の中だけで片付けていた「流れ」を、目に見える形にして指でなぞってゆき、形にして残す。その過程そのものが、自分にとって「流れの整理」という意味で役に立った、ということ。今の時点ではこちらの方が、そのマニュアル作りから得たものは大きいかも知れない。

 と考えて、それと良く似たような事を以前からずっとやっているような、ふとそんな気がした。よくよく考えて見ると、それはこうして今、日々書いている何かしらの文章、そのものだった。
 これまで頭の中だけで片付けていた「流れ」を、目に見える形にして指でなぞってゆき、形として残す。やっていることは同じようなものだ。形として残しているだけのようで、実はその過程そのものが、今の自分にとって結構役立っているのかも知れない。…即効性は無くても。


■2003.03.25 火

 日中の気温が10度を上回る暖かい日が続く。歩道の上もアスファルトの面積が増えてきた。それにしても雪が消えた後の路上は汚い。これまでずっと真っ白な雪に隠されていた様々なものが、短期間で一気にあらわになる。埃、泥、滑り止めに捲かれた砂。吸殻、空き缶などのゴミ。秋の落ち葉。犬の糞。等々。子供の頃は雪融けの後、お金でも落ちてないだろうかと、学校の行き帰り歩道の脇を見ながら歩いたものだ。そして結構小銭を拾った記憶がある。ふとそんな事を思い出した。
 昼休みに事務所の窓を全開にして、窓の外で繰り広げられる空中戦…カラスとトンビの…を眺めていた。この時間に職場に出入りする、学生時代の後輩でもある保険屋が、所用を済ませてからやってくる。自分の席に戻って少しお喋り。テレビが流し続ける戦場からの報道に、「ガソリン100円超えましたよね。関係あるのかしら」などと、そんな話になる。そうして、「嫌ですね、戦争なんて」と。突然そう言われてちょっと困ったけれど、笑ってそうだね、と答えて、窓の外の空中戦に目を移して、それを指差す。トンビは1羽、カラスは3羽の空中戦。ほら、あそこでも戦争。後輩がくすっと笑う。
 テレビの中に目を移す。航空機のカメラが捉えたモノクロの映像。地上の陣地の中に静止している車両に、照準が合わされ続けている場面。そのうち画面外からぱっと白いものが飛来して、その車両が爆炎の中に消える。映像は次の目標を捉えた画像に替わり、画面中央の照準がやはり、地上に静止した目標を捉え続ける。やがて。
 動きを停めたものから斃されてゆく。そこに映されていたのは、大昔からの原則に変わらず支配され続けている、そんな最新の戦場の姿だった。


■2003.03.26 水

 4月から何が変わって何が変わらないのか。今ではもうそれがはっきりしている。自分のセクションは1人が入れ替わるだけで、他に変化は無い。自分自身も(名目だけ)ひとつ上のポジションに昇格するような話があったが、それも無く、勿論人員の追加も無い。先月までずっと不確かだった転勤も無い。つまり、結局は何も変わらない、という事。
 ただ、これまで構え続けていた「あるかも知れない変化」から全て解き放たれて、何だか拍子抜け…というか、気が抜けてしまった感じがする。安心感、とはまた違った感覚。似ているが、あまり引き摺りたくない感覚があるのも確か。

 現在の情勢に関して、予想屋が増えてきたと感じる。評論家は現状を正確に把握する事に全力を注げばいいものを、色々なところで色々な評論家が、これもまた様々な先行きの予想を立てて、それを書いたり喋ったりする。彼らに訊く方もそうだ。今後の情勢はどのようになるとお考えでしょうか、と。そう簡単に訊いてしまう。
 混迷する情勢の中で、先行きを予想する事は大切だ。でも、それにとらわれ過ぎるのはどうだろう。見通しが明るかろうが暗かろうが、確実な未来など存在しない。今が不確かなものならば、確かにしてゆく必要があるのは今現在の方だ。…とまぁ、別に戦争の事を書いている訳ではない。とにかく職場でも、人事が慌しい時期を迎えると予想屋が増え、人は先行きばかりを知りたがる。そう感じる事が多かったのだ。

 それにしても。世の中には人目を引くために語られる予想の何と多いことか。


■2003.03.27 木

 昨日までとうって変わって冷え込んだ1日。とはいっても、寒さの質が変わった。強く吹く風は確かに冷たいけれど、何と言うのだろう。風の質感が違う。空気そのものが締まっていない。緩んでいる。そんな感じ。夕方からは雨が降り始めた。でもまだまだそれは、冷たい冷たい雨粒だった。
 日が暮れた帰り道。線路脇を歩く。電車が通過して行く。満員電車。車窓の中には人、人、人。ぎっしりと立ち並んでいる。昼間はあまり気に留めないけれど、夜になるとその車内が明るい電車に、何となく不思議な気持ちで目が行ってしまう。
 無数に穴が空いた、光を詰めた箱。その明るい中にぎっしりと、人は動かずに立ったまま、すごいスピードで過ぎ去ってゆく。身動きせずに立っているだけで、あんなに多くの人が突然視界の中に現れ、運ばれ、消えてゆくのだ。そんな事を時折「ほぇ〜」という感じで見詰めている自分は何なんだろう。見慣れてはいるはずなのに、可笑しな話。でも、確かにそれを見ていると、まるで信じられない光景を見ているような、不思議な気持ちがするのだ。何故だろう。そういう光景が日常となっているような環境の育ちでは無い。それはそのためなのかも知れない。
 喪中で年賀状のやり取りができなかったある人に、ちょっとびっくりさせてやろうと思い立って、便箋1枚の手紙を書いた。手紙を書くなんて久しぶりだ。近況を伝えつつ、近況を尋ねる手紙。最後に今日の日付と書き終えた時刻を添える。そうして便箋に時間を留め、折りたたんで封筒に詰める。
 電子メールは時に、瞬時に伝えることで相手と自分の今を繋げるものかも知れない。それはそれでいい。でも、これはこれでまたいい。
 封筒の口に封をして、送り届ける時を、しっかりと封印する。


■2003.03.30 日

 朝起きると窓の外が白かった。何だかこれまで何度もあったような書き出しだが、久しぶりに新鮮さを感じた。午前中は今シーズン2回目の職場の人の引っ越し手伝いへ。昼前に帰宅。その頃には朝に降り積もっていた雪も、すっかり消え去ってしまっていた。
 …と。「しまっていた」か。いつの間にかこれまでの厄介者を惜しむような口調になっている。消えゆくもの、去り行くものに対しては、そう感じるものか。
 部屋に戻って朝刊を読みながら、さぁて今日は何をしようか、髪切りにでもいこうか、と考えていると、携帯電話が鳴った。前にちらっと書いた、今月限りで職場をクビなる友人からの電話。札幌市内に来ているので、これから遊びに来るという。その彼が数十分後に来訪。クビの話になる。クビ、というのも言い回しだけかと思っていたら、本当にクビになってしまったらしい。ふう。
 夜になってから晩飯に近くの中華料理店へ。水を持ってきた店員の女の子が「決まりましたらお呼びください」と言ってコップを置いて去る。しばらくして注文が決まる。で、それからは彼女が言うとおり、大声を上げてその店員をお呼びしなければならないのだが、その必要は無かった。
 店員を呼ぼうとしてカウンターの方を見たら、もう先の女の子が注文を取りにこちらへ向かってきていた。目が合うとコクッと頷いて、それだけ。店員は彼女を含めて2人しかおらず、店内の席は8割方埋まっているので、別にこちらばかり注視できていた訳ではないだろう。それなのに大したもの。
 …ああじゃなきゃ。注文を終えてから、一応は接客業(だった)の彼に言う。へ、何が? と彼が首を傾げる。…判ってなかったか。
 「あの店員さぁ、呼ばなくても注文取りに来たっしょ?」 「ああ、そういえば」
 「アイコンタクト。ああしてできる奴って、なかなかいねーよ?」 「…ううむ」
 で、それからしばらくこっそりとその店員さん観察となる。何と言うのだろう。目配りがプロフェッショナルだ。他の席からも注文の声はやはり上がらない。各席のコップの水の残量にまで気を配りながら、客にその視線を意識させない目配りの仕方。そして何かにつけて、客に自分の存在を意識させない事を、常に意識しているような。
 ふと目が合った。 …ご用でしょうか? 表情だけでそう言われる。首を横に振る。彼女は笑顔で軽くお辞儀して、自分の仕事に戻る。

 「…弟子入り、ですなぁ」 「そうですなぁ」 そう言い合って、接客業にはとことん向きそうにない二人組はちょっと苦笑いする。


■2003.03.31 月

 今日付けで何人かがこの職場を離れて行った。転勤の人もいれば定年になった人もいる。そして、明日付けで何人かがこの職場に加わる。転勤してくる人もいれば、新規に採用された人もいる。彼らを送り出し、迎える人々がいる。さよならようこそよろしくおねがいいたします。そんな幾多の声が交錯するこの数日間。
 年度末。周りが忙しくこちらに構っている暇が無いせいだろうか。こちらの今日の仕事はいたって平穏だった。ここの職場も、この街での生活も、ちょうど丸2年になる。同時に後1年…という感覚も頭を過ぎる。でも、それをすぐに打ち消す。そんな先の未来のことなど、まだ判りっこないこと。
 でも、明日からはラスト1年の気持ちでゆこう。そうしないと、実際そうなった時に後悔する。仕事だけではない。この地に巡り来る、新たな季節も含めて。

 帰ってから町内会の当番の用があったので、隣の玄関の4階の部屋へ。階段を昇る途中の2階、2つの部屋のドアが向かい合った空間に、1人のちっちゃな女の子がうずくまっていた。
 あまりの違和感に、ドキッとする。夕暮れを過ぎているのに、蛍光灯が点いていない暗いその空間の、コンクリートの床の上。ドアとドアの丁度中間の壁際に座り、両膝を抱えた腕の中に顔を埋めている子供。いや、本当は最初それが子供だということすら判らなかった。風呂敷に包まれた何かが置いてあるのだと思ったのだが、ふと漏れたすすり泣きの声でそうだと気付いた。
 おーいどうしたよ、と突付いてみる。動いた。どうしたの。そう言うと子供が顔を上げた。しゃがみ込む。暗がりの中そうして覗き込んだその顔は、くしゃくしゃの泣き顔。どうしたのさ、と顔を見ながら続けて話し掛ける。でも、子供は泣きながら、アウアウと何か言うだけ。
 「何してるのさ」 「アウアウ」 …判らない。 「どこの子さ」 「…アウー」 子供が片側のドアを指さした。何らかの理由で親の帰りを待っているのか。それとも置いてけぼりでもくったのか。そう思ってドアを指して訊く。 「誰もいないの?」 子供は首を横に振る。 「…いるの?」 今度は頷く。状況がよく判らない。 「いるのに入れないの?」 子供が再び頷く。
 どうしようか、と迷っていると、カシャンと鍵を廻す音が響いて、そのドアが開いた。母親がわたわたと出てきて、こちらを見ていきなり「すみませんっ」と言う。ようやく状況がつかめた。「そんな悪い子は家に入れてあげません!」という、あれだったのだ。
 とにかく事は済んだので、階段を昇り4階へ。その間、母親が子供を叱る声が響いていた。子供の泣き声と共に。用件を済ませて階段を降りる。その時にはもう、静まり返った2階の空間には子供の姿も母親の姿も無かった。
 ただ、子供が先程まで…どれくらいの時間だったのかは判らないが…うずくまっていたそのコンクリートの上には、子供の流していた涙が大きな点になって滲んでいた。あの子はこんなに涙を流していたのか。

 詳しい事情は判らない。でも、あまり好きにはなれない叱り方だ。
 大声を上げたり、時に手が出たりしてしまう。そういう事はまぁ、あるだろう。でも、こんな鉄のドアで隔てちゃいけないと、そう思う。こんな狭くて暗い空間に突き放されて、内側から鍵をかけられる。それが小さな子供にとってどれほど堪えることか。
 叩かれる痛みなら一時的なものだ。でも、そうして突き放された時の不安や寂しさは、そうではない。躾る、叱る、ということと、子供にそんな不安や寂しさを与える、ということを、俺はちょっと結び付けたくない。それは親が子供に決して与えてはならないもののひとつだろう。それから子供を護るのが、常に親の果たす役割なのだと思う。

 とにかく、ああいうやり方は好きじゃない。
 その子と親にとって、あのやり方が日常の光景ではありませんように。

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